“花便り”に耳を澄ませ、“花催い”に胸をときめかせて“花を待つ”日は長かったが、高知の“初桜”を皮切りに一斉に開花となった。

それにしても“初花”と聞いた途端、“花冷え”となり、“花曇り”の日が続く。

時にうっすらと“花の雨”が降りかかり、“桜雨”という風情である。

さっと降ってしぐれるのを“花時雨”と呼び、その雨で桜が散ると“桜流し”と呼んで残念がるのである。

開花から2週間、ようやく“花時”を迎えて一斉に“花盛り”となり、道後の“花の山”は一面、“花の雲”と化した。

桜狩り”に繰り出した“花人”は“花衣”を身にまとい“花の宴”を囲んですっかり“桜人”の気分である。

“花の昼”、“花朧”の中で友と酌み交わす一刻は格別で、“花の香り”もさりながら、“花明り”にみる“飛花”、“落花”はまた一興である。

道後公園の池には“花吹雪”が舞い、“花筏”を楽しむ光景もみられる。

今夜あたりは“夜桜”にも程よい暖かさである。

いまや“花篝(はなかがり)”を見ることは少なくなったが、“桜月夜”の下で“花筵(はなむしろ)”に坐し、“花の客”となって一献傾けるのもよい。

花疲れ”すれば“花の宿”に帰し、湯に身を横たえて“花埃(はなぼこり)”を落とす。

しかるのち、”花影”を思い浮かべて“桜湯”を喫するのもよい。

しかしそれも数日のことである。

ほどなく“花過ぎ”て、“散りゆく桜”を惜しみつつ、“花の名残”をかみしめる。

ここまで愛でられれば、桜も本望にちがいない。

げに桜は、かくも多くの季語を生みだしてくれたのである。

それを享受できる我等は、もって瞑すべしであろう。

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