ジャコメッティ

summer_kwak / Pixabay


先日私用でロンドンへ出かけた際、子供に付き合って、テートモダンへ出かけた。

なんでも現代美術の宝庫だそうである。

美術館といっても、もとは火力発電所だったというだけあって壮大かつ重厚だ。

かねてから現代美術は、解説を聞かないと理解できないという苦痛に嫌気がさして、足が遠のいていた。

自分ひとりなら来ないところなんだがと呟きながら、ぶらぶら館内を散策していたが、突然ジャコメッティのあの針ガネのごとき人物像に出くわした。

しばしば雑誌などに紹介されている、あの特徴的な彫刻だ。

上半身はなんとかバランスが保たれている。

胴も長めだが骨盤がほどよい大きさで、ここから上ならなんとか理解できる範囲にある。

しかし問題は下肢である。

ともかく異様に長い。

3分の2かせいぜい半分もあればよい長さである。

しかも膝関節がなく、筋肉もそぎ落とされ、足の付け根から指先まで真直ぐにのびている。

細い足に不釣り合いなほど重い靴を履いているため、歩くのに難渋しそうだ。

上肢がやや長いのは上腕が伸びたためで、前腕は普通にみえる。

わが日本人なら、かほどに異様な彫像は造らないだろう。

一体、どこの生まれか?と聞くと、スイスだという。

ならばこういうモチーフはどこから生まれるのであろうか?どうもスイス人であることとは関係がないらしい。

若いころ、シュルレアリズムから脱し具象の世界に戻った彼は、モデルを前に頭をかかえたという。

人物全体を表現しようと彫刻に取り組むと、どうしても人物の一部しか表現できないというのだ。

そこでモデルにもっとうしろへ下がってもらうと、当然だが対象は小さくなっていく。

どんどん下がってもらって、やっと彼は全体を掴めたと得心したという。

全体とは目に見えるモデルの姿ではなく、モデルが発する空気をいっているらしい。

時には自分が後ろへ後ずさりしていき、とうとう相手が見えなくなってしまったというから、凄みがある。

そして生まれたのは10センチほどの小さな作品ばかりになった。

当然ながらこの大きさでは顔の表情まであらわしようがない。

どんどん小さくなってほとんど消え入りそうになったとき、彼はモデルをみつめるのをやめた。

そして実物を見ず、記憶によってのみ制作するようになる。

しかしまもなくそれも行き詰るようになった。

「私が見たものを記憶によってつくろうとすると、恐ろしいことに彫刻は次第に小さくなった。それらは小さくなければ現実に似ないのだった。わずかに小さなものだけが、いくらか真実だと思われた。」

と彼は語っている。

小さな作品のおかげで相手の全体を捉えたという安心は得たが、ほとんど消えてしまいそうな作品を前に、彼は新しい表現の模索に向かう。

そしてデッサンを繰り返していくうち、もっと大きな彫刻を造れるという確信を得た。

彼はいう。

「驚くべきことに、それらは細長くなければ現実に似ないのだった。」

こうして、針ガネのように細く、すらりと背の高い人物が生まれた。

美術評論家ジャックデュパンによれば、

「彼の仕事は彫刻をつくるより、破壊することで成立していた。」

という。

彼自身も

「失敗と成功は根底では同じものだ。むしろ成功に失敗は不可欠だ。失敗すればするほど、何かが生まれるように思える。」

と言っている。

彼の創作がいかに鬼気迫るものであったかを物語るエピソードである。

退屈な日と観念したこの日がジャコメッティのおかげで、記憶に残る一日となった。

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