エズ村(南仏)散策

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学生時代、ニーチェは、若者の鬱積を解消する清涼剤のように捉えられていた気がする。

しかし、その思想は斬新ではあるが、飲み込むのは容易でなかった。

多くの若者が、手塚富雄先生の訳された「ツラトストラはかく語りき」の超人思想を前に、呆然と立ち尽くした。

そんな折、偶然手塚先生の講演を聴く機会に恵まれた。先生はすでに好々爺になっておられ、にこやかに若き日の挫折を語られたのだが、そのなかで自分の独善が意中のひとの自殺を招いた後悔を語られた。

そして頭の中で相手を理解していると思っても、それは独りよがりの幻想にすぎない。

それほどに我々の頭は不完全である。謙虚にならなければならぬと警鐘を鳴らされたのが印象的であった。

爾来40年間、ニーチェは封印されたままであった。ところがふらっと訪れたニースで、近郊のエズ村へ足を延ばした折、ニーチェが超人思想を練り上げた散歩道を案内され、学生時代の混迷が彷彿とよみがえった。

地中海に面する南仏では、紀元前よりスペインや北アフリカの海賊の侵略をうけたため、漁民は近くの山の上に海賊の来襲を遠望できる城塞を築いた。

住むのが目的でなく、敵の探索が目的であるから、自然岩山の崖のうえなどに造られた。

そしていったん敵船が出現すれば、いち早く住民に来襲を知らせ、山頂へ避難させたという。生死のかかった城塞である。

地上から見上げると、鷲がヒナや卵を守るのにつくった巣に似ているため、鷲の巣村と呼ばれるようになった。

如上の理由で、鷲の巣村は地中海沿岸各地に造られたが、エズ村はその典型である。

神は死んだ

1879年ニーチェはバーゼル大学の教授を退いた後、冬の間はイタリアのジェノヴァ、フランスのニースを結ぶリビエラ一帯で過ごしていた。

車なら1時間ほどの距離である。1883年頃、愛するルー・ザロメに失恋した彼は、失意から立ち直るべく、このエズ村の坂道を行き来しながら人生肯定の思索にふけり、『ツァラトゥストラ』の草稿を練ったといわれる。

ニーチェの発言は大胆きわまりない。なにしろ、「神は死んだ」と宣言し、人は来世で救われるというキリスト教世界を否定したのである。

ニーチェの目には、キリスト教の愛と平等がひっきょう人間を卑小化し、人が本来求める生き方を喪失させていると映った。

人は本来自己を主張し、強く生きる意志をもった存在である。もはやキリスト教にすがるべきときは去った。

今や、キリスト教世界に埋没した個性を脱し、創造的に生きる道を目指さなければならないとの考えに至る。

そしてついに、彼の脳裏に「永劫回帰」という世界が顕われてくるのである。

永劫回帰

すなわち、宇宙万物は永遠に繰り返す円環運動を繰り返している。時は永遠であるという命題を噛みしめれば、いつかはきっと今と同じ状況が再現されるであろうという論理である。

それは一見、輪廻転生を思わせるが、そうではない。輪廻転生は死して霊魂が姿形を変え、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の間を巡るというものである。

また、キリストの「復活」は一度限りの転生ともいえるが、「永劫回帰」は録画再生のごとく、そのままの人生が姿形を変えず、何度も永遠に繰り返すというものである。

ニーチエの「永劫回帰」は容易に納得しがたいが、永遠という時間を想定すればありえなくもない。

そうなると、不遇の人々にとってそれは過酷な告知となる。彼らの間には妬み(ルサンチマン)や虚無感(ニヒリズム)が蔓延し、暗澹たる思いに陥りがちとなるだろう。しかしそこで、さらにニーチエは言う。

たとえあなたの人生が苦痛に満ちたものだったとしても、虚無的になってはならない。その苦痛もしぶしぶではなく、進んで受け容れようではないか。

そして喜びを求めて創造的に生きようではないか。それに全力で夢中になれる人こそ超人といえるのだ。

ニーチエの発想は人生をすべからく肯定すべしとする、徹底したポジティブ思考である。

ゆえにその思想は、人生を肯定するためにつくったファンタジーとさえいわれる。

エズ村を歩きながら、鬱屈したままニーチェの前で佇んでいた学生時代を懐かしく思い出した次第である。

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