ベルギー紀行

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ベルギーは人口1千万、四国と九州の中間くらいの小国である。

とくにベルギー語というものはなく、北部(フランドル地方)はオランダ語、南部(ワロン地方)はフランス語が公用語で、首都ブリュッセルでは、両者が公用語である。

オランダ語圏とフランス語圏は6対4でオランダ語優位、しかも首都ブリュッセルはオランダ語圏にありながら、意外にも市民の8割がフランス語を話している。

かつて貴族の間では、フランス語を話すのが上流階級の証しとした時代が長く続いた。

ブリュッセルにはそのなごりが残っているのであろうか。

北部は経済的に裕福で、子供にオランダ語のほかフランス語と英語を学ばせている家庭が多い。

それに比べ南部は北部ほど豊かではないうえ、フランス語を上流言語と考え、フランス語以外の言語を話さない人が多い。

当然のことだが、北部と南部はしっくりいかない。ときに「言語戦争」とも言うべきいさかいがおこっている。国もこれを配慮し、公的な案内には2つの言語を併記するようにしている。

ベルギーで親交をもったベルギー人に話を聞いた。ひとりはイスラエル人の夫をもつH。大学生の子をもつ母親で、旅行会社に勤める。

大学時代、文学部日本語学科にいたので、日本語もかなり上手い。ベルギーの大学に日本語科があるのには驚いた。

ヘブライ語、オランダ語、フランス語

ベルギー人は最低3か国語を操ると聞いていた。Hにそのことを言うと、笑って首を横に振った。多くの人は一カ国語しか話さなくなってきています。

ただ公務員になるにはオランダ語とフランス語をマスターしていなければいけません。ブリュッセルはフランス語と言われますが、大まかには国の上層部がフランス語、中産階級はオランダ語という図式でしょうか。

政治家や経営者がフランス語で語ることに市民アレルギーはないのか尋ねると、なーに、テレビでは2か国語のテロップが流れるし、公の場では、その都度同時通訳がつくから別段困らないという。

そこまでしないと意思の通じあえない国家など、成立するのだろうか。半信半疑で聞いていたが、そういえばスイスにいたっては4か国語で成立しているではないかと、思い直した。

彼女が夫とヘブライ語で話し、子供たちとはオランダ語、仕事でフランス語、日本語と4か国語を操ると聞いて、むしろ気の毒な気がしてきた。

もう一人のベルギー人はアントワープに住む中年男性のPで、20年ほど前、伏見に数年住んでいたという。

東南アジアを周遊していたので、特に日本を目指していたわけではないらしい。たまたま日本にいる間に日本人女性と結婚した。

ベルギーとオランダは仕事で始終行き来していて、H顔負けのマルチリンガルである。日本語も上手い。

EU

かつてベルギーは石炭と製鉄で他国を圧倒したが、20世紀以降は資源が底をついて衰退した。

ヨーロッパの片田舎になりはてようとしたとき、奇跡が起こったという。EU本部がブリュッセルにおかれたからである。

EUのもとがベネルクス三国同盟に起因するとはいえ、EU本部をどこに置くかは、各国の思惑が交錯した。

とくにロンドン、パリ、ベルリンが互いに牽制し合い、互いに譲らず、そのおかげで棚から牡丹餅が落ちたのだという。一躍ブリュッセルはヨーロッパの首脳が集う一大国際都市となった。

ところが、である。

1969年、ベルギー政府は、EU本部に3,000人を収容する斬新なビルを建設したが、1990年になってアスベストの使用が明らかになり、翌年から13年をかけて湯水のように修理費をつぎ込み、国民が呆れ果てたころにやっと工事が終わったという。

これがベルギーですよと、彼は吐き捨てるように言った。

肺ガンを誘発するからといって、壁の中からアスベストだけを取り除く作業を13年も続けたわけです。

その工事費もさることながら、人体被害は計り知れない。英独仏なら一挙に壊して建てなおしたでしょうね。

政府には先見の明がないと言いたげであった。

オランダ

もともとベルギーはオランダの一部であった。1830年にオランダから独立したとき、あなたがたの祖先は心から喝采を叫んだのだろうか。それとも・・?

しばらくして彼は、喝采は当然ですよ。あのときオランダはベルギーに対し、独立を認めるかわりに永世中立国になることを条件にしたのだという。

新教国オランダにとって、旧教国のベルギーとフランスが軍事同盟を結ぶのを最も恐れたらしい。互いに心を許しあう仲では決してない。

本心ではオランダをどう思っているのかと問うと、厭な顔をした。

少し間をおいて、オランダ人の多くは私たちを見下している。能力も自分たちのほうが高いと信じている。だいたい彼らはけちで生意気だ。けっして仲は良くないよと言って、黙ってしまった。

その昔、ネーデルランドが独立しようとしたとき、同一行動をとらなかったじゃないかという不信が今なお、尾を引いているのであろうか。

長く外国暮らしをしたあと祖国に帰ってみてどう思うかと問うと、税率は世界最高クラスだけど、医療費が安く社会保障がしっかりしているから、安心で住みやすいと答えた。

アントワープ

あなたの住むアントワープは、フランダースの犬で有名になったねというと、私たちは教会で凍死するネロに同情はできない。

彼は若者だ。15にもなってなぜもっと積極的に人生を切り開こうとしなかったのか、という意見が大勢を占めているよと言い放った。

フェリペ2世の16世紀、アントワープは世界一の港だった。スペインやポルトガルの商人が命がけで東洋の植民地から持ち込んだ香料を、アントワープの商人たちが一手に売りさばき、隆盛を誇った。

彼らはただ左から右へ商品を移すだけで金儲けができた。スペイン、ポルトガルの商人からは、要領がよすぎるとさぞかし妬まれたことだろう。

ところが独立戦争でスペイン軍がアントワープに迫ると、商人たちは金を持って大挙アムステルダムへ逃げた。その結果、経済の中心はアムステルダムに移ってしまったという。

アントワープはそののちスペイン領になって衰退したが、現在では臨海工業都市に生まれ変わって、ベルギー第2の都市(人口50万)になったと胸を張った。

ベルギーは長らくスペインの傘下にあったためか、国民の75%がカトリック教徒だという。

じゃあ、日曜日には家族で教会へ行くのかと問うと、最近は自宅でテレビを見ることが多い。

どの家庭もそうなんだ。子供たちにいたっては、カトリックそのものに興味がないんだという。教会離れは着実に進んでいるようだ。

もっとも、古来、世の中が平和になると無宗教に、世が荒れると宗教がはびこるという。してみると、ベルギーにとっては喜ぶべきことかもしれない。

別れる前になって彼が笑って言った。あなたがた日本人は1に仕事、2に家族、3番目が個人の趣味でしょう。

ところがわれわれベルギー人はこれが全く逆なんですよという。確かに我々日本人は仕事をしていないと落ち着かない。朝から個人の趣味はないだろうという気分が旺盛だ。

短い人生を駆け抜けるばかりが能じゃないよと言わんばかりであった。

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