お大師さん


四国八十八ヶ所には、一年を通しお遍路さんの絶えることがない。

その白装束の背には、遍照金剛と墨書されている。

遍照はあまねく照らす、金剛とは永遠に不滅の意である。

若き日の空海が留学先の中国で、密教の第1人者恵果から与えられた称号である。

かつてお釈迦さんは「一切は無である」といい、解脱を尊んだが、空海は現実味のある現世利益(修行すればご利益がある)を主張した。

この点で両者は対極にいるといえる。

空海は「死んで仏になって何になる、この与えられた身で仏にならずしてなんになる」といい、修行の末、現世での成仏(即身成仏)を目標とした。

彼の創りあげた真言宗は、真言という呪文を唱え、手に印を結び、心に仏(大日如来)を思う三密という行を実践すれば大日如来と一体化することで即身成仏が可能となる。

そして宇宙のまことの言葉(真言)をひたすら唱え、仏や菩薩と交感することで現世利益を得ることができるとした。

空海が中国からもたらした密教は、6世紀のおわり、インド土着の習俗・慣習にのっとり、仏教儀式の様式や修行の方法などを定めた呪術の薫り濃厚な特殊仏教である。

その内容は門外漢には伝えない秘密の教えとしたため、密教と呼ばれた。

ところが、空海は奈良以来の仏教を”顕教”としてひとまとめにし、本来仏教の付属的な位置にあった”密教”を、一宗としたばかりか、顕教に勝る地位まで引き上げてしまった。

彼自身の個性によるが、密教は芸術的となり、朱・紫・金銀など絢爛豪華な世界を呈し、加持祈祷もおこなった。

空海は、経典の研究ばかり目を向け人心を離れた奈良仏教を批判し、菩提(ぼだい)心を喚起したため、仏教界は大いに動揺した。

彼は勅許を得て高野山に金剛峰寺をひらく大事業をすすめ、「弁顕密二教論」「即身成仏義」「吽字義」「声字実相義」を書き、真言教学の体系を確立した。

平安の3筆としても名高いが、密教に必要な絵画・彫刻・建築の製作や指導、手芸種智院(庶民の学校)の創設、文芸論に飽き足らず辞書までもつくる多才ぶりを発揮した。

空海の死後、彼の訪れた地には弘法大師信仰が生まれ、お大師さんと尊称され、四国八十八カ所の巡礼が始まった。

中世には鎌倉・室町幕府の庇護をうける一方、僧以外の教団関係者というべき高野聖が全国津々浦々に大師信仰をひろめた。

古今を通観しても、彼の独創性と行動力は時代を突出しており、わずか62年の生涯でなし得たとは思えぬ業績に瞠目するほかはない。

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