老いらくの恋

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東慶寺(鎌倉)には特別な思いがある。

西田幾多郎、安倍能成、鈴木大拙、小林秀雄、和辻哲郎など、若い頃その著作に圧倒されたひとびとがここに眠っているからである。

なかでも小林秀雄には、とりわけ憧憬の念がつよかった。

洗練され、省略の効いた文体は魅力的である一方、その本意を知るのは至難の業と思えた。

自分にとっては巨人であり、ほとんど天才という存在だった。

学生時代、彼の著書を持って歩くだけで誇らしかった。

後年、東慶寺を訪れ彼の墓前に立った際、己の余りの卑小さに身のすくむおもいがしたのを覚えている。

東慶寺は鎌倉時代、執権時宗の夫人により尼寺として開創。

その後、女人救済の「駈込寺」として600年を経るが、明治政府により縁切寺法を中止させられ、禅寺として変貌を遂げた。

最近、その東慶寺に川田順の墓もあることを知った。

川田は硬骨の人である。

長年、住友の中枢にいた人物で、将来トップを嘱望されていた。

川田がそばにいるだけで、その威厳に若い社員は震え上がったという。

当時の住友の社是はふるっている。

“まず国益を考えよ 私利は後にせよ”。

とても民間企業とは思えないすぐれた見識だが、それを体現する潔癖な人物であったらしい。

ところが、昭和11年、彼は突如常務理事を辞して退社、歌人の道に入った。

思い切った決断であった。

その後、彼は第1回芸術院賞を授賞し、戦後、東宮作歌指導役を務めるまでになる。

その彼が世間をあっといわせたのは、戦後まもない昭和24年のことである。

“死なむと念ひ生きむと願ふ    苦しみの百日つづきて夏去りにけり“  順“墓場に近き老いらくの   恋は怖るる何もなし“  俊子67歳の彼と40歳の人妻との“老いらくの恋”が明らかとなり、巷間の話題を独占したのである。

この騒ぎに、彼は死をもって清算しようとしたが、まわりに制止され思い留まった。

結局、彼は想いを遂げて結婚し、84歳の天命を全うした。

それはともかく、私が彼に強い印象を持つようになったのは、次の興味深いエピソードによる。

老いらくの恋を遂げて10年もたったころの話しである。

事情で藤沢に引っ越すことになった。

先方は三菱の人間で、そのあとへ入ることとなった。

引越しの日、先方につくと既に家は空であった。

ところが、上に上がると畳が新品になっている。

床の間には活け花が添えられている。

奥に入ると風呂が沸いており、薪の用意もされているではないか。

おもわず、“三菱もやるなあ”と声を漏らした。

このとき彼は住友の目でこの様子を見つめている。

住友だって決して負けはせぬよという気概を感じさせるエピソードである。

企業人の振る舞いとはいえ、武士道を彷彿させるいいはなしではないか。

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