科学の父 ガリレオ

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少年時代、寝転んで空を見上げていると、地球が回っているなどどうしても信じるわけにはいかなかった。

同時に「それでも地球は回る」といい張ったガリレオという人をいぶかしく思った記憶がある。

昭和46年、アポロ15号の月面活動が報じられるなか、スコット船長が鳥の羽根とハンマーを両手にもち、月面への落下実験をみせてくれた。

重いものと軽いものを同時に落とすと、重いもののほうが早く落ちるという説に異論を唱えたガリレオの説を証明する実験である。

空気抵抗のない宇宙ならではの実験である。

この瞬間、物体が自由落下するときの時間は、落下する物体の質量にはよらないという「落体の法則」が実証されたのであった。

実はガリレオが現われるまで2000年もの間、物体の重さに応じて落下時間が変わるというアリストテレスの言葉を世界の誰もが信じていた。

1589年になってそれはおかしいと感じたガリレオが、実験に取り組んだのである。

ただ地上の実験では落下速度が速すぎて、正確な時間を計れない。

彼はあたまをひねった結果、底辺が10メートルほどの斜面実験装置を作り、斜面にして落下速度を落とし、水時計で正確に時間を計れるようにした。

垂直に落下する現象は90度の斜面を転がる現象であるという、見事な発想の転換である。

こうして軽い球も重い球も手を離せば同時に落下するという事実を証明してみせた。

さらにこの斜面実験装置を用いた落下実験を継続し、物体が落下するときに落ちる距離は、落下時間の2乗に比例する「等加速度運動」という法則も証明した。

またある日の夕方、ピサの大聖堂で天井から吊したランプの揺れるのをみて、自身の手首の脈をとりながら、振り子は大きく揺れても小さく揺れても、往復にかかる時間は同じだということに気付いた。

そして振り子が往復する時間は、揺れる幅で変わることはない。

振り子の長さによるものだという「振り子の等時性」を発見した。

中世はカトリックの教えを信じることから始まっている。

キリスト世界に疑問をもったり、自分の意見を述べてはならないのである。

ガリレオの行動は、身の回りの現象に疑問をもち、それを実験によって解明し、その結果を世に問うという、中世の世界観を逸脱したものであった。

彼は、パドヴァ大学で数学教授をしながら18年間を過ごした。

真理とされていることでも疑問があれば実験をおこない、そのデータを数学的に分析して事実を明らかにするという彼の手法は学生の支持をうけ、教室に入りきれないほどの学生が集まる盛況ぶりであったという。

そのうち、1608年にオランダで望遠鏡が発明されたことを聞いたガリレオは自分でも倍率三十倍の望遠鏡を試作した。

倍率が低いため、簡単に天体をみるわけにはいかない。

月にしても一度にその一部しか捉えられないため、継ぎ足していかなければ全体は見えない。

この辛気臭い努力を重ね続けて、彼は木星の衛星、土星の輪、太陽の黒点を発見していった。

また金星が満ち欠けをし、満ちるにつれて小さくなることを発見した。

これは金星が地球より内側で太陽の周りをまわっているためであると結論した。

その観察ノートが実存する。

インクで滲んだ彼のノートには、初めて月面を観察したとき、予想外の凸凹に驚いたという記述や、木星のまわりに4個の衛星が位置を変えながら回っていることを発見した感動が垣間見える。

結局、これらの発見が地動説の根拠となったのであった。

1610年、彼はその結果をまとめ「星界の報告」という論文をものした。

地動説はガリレオ出生の20年前、すでにコペルニクスによって発表されていた。

ただ彼はローマ教会を意識して、自説を展開することなく、太陽中心の宇宙図も理論的には可能であるという控えめな発言にとどめた。

しかも自著の発刊は死後にするという用心深さであった。

ガリレオは中世を抜け出している。

自然界の疑問は実験によって証明し、成果を世に問うという近世の科学的発想をもっている。

しかも科学と宗教は分離すべきものであるという位置にいる。

1632年、彼は「天文対話」を出版して地動説を全面展開した。

天動説にたつローマ教会はいら立っている。

地球が太陽のまわりを公転しているのなら、なぜ我々はじっと立っていれるのかという詰問に、ガリレオは慣性が働いているから倒れないのだと一蹴した。

1633年ガリレオはローマへの出頭を命じられ、ローマ教皇庁から終身刑の有罪判決を受けたうえ、地動説の放棄を誓約させられた。

軟禁状態となった彼は70歳という高齢にもめげず、なおも天体観察、実験を続けた。

さらに4年後には、望遠鏡で太陽を見過ぎたためか失明してしまったが、それでもなお口述で『新科学対話』を刊行した。

そしてついに77歳の晩年を迎えても、振り子時計を発明するほどの情熱を示した。

まさに「科学の父」と呼ばれるにふさわしい一生であった。

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