コペルニクス的転回

コペルニクスが世間の常識をひっくり返し、天動説から地動説へ180度転回させたことを「コペルニクス的転回」と呼ぶようになったが、言い出したのはカントである。

ところで、われわれが見ている世界は決して真の世界ではない。たとえば庭の赤い花を見て美しいと感じても、そこに止まっている蝶は花を美しいと感じるだろうか。白黒でしかみえない犬はどうだろうか。見るものによって全く別の世界を見ていることになる。

同じ人をみても、好感をもつ者がいる一方、嫌な奴だと毛嫌いする者もいる。要するに、対象の捉え方は、十人十色である。つまり自分だけは正しく認識していると思っていても、実際はだれにも、そのものの真の姿(本質)は捉えられていないということになる。

カントはものの見方について、まず初めに世界があって、それを我々が認識するのではない。

われわれの認識能力にあわせて世界が形作られるのだと言って、世の人々を驚かせた。

この発想の逆転を、自ら「コペルニクス的転回」と呼んだのである。

ダーウィンの進化論

それから約100年後、ダーウイン(英)とマルクス(独)が登場し、「コペルニクス的転回」を唱えて、世間を驚かせた。我が国ではペリーが黒船で来航した時期にあたる。

ダーウィンはもともと生物学者ではなく、博物学、地質学者である。彼は南アメリカへの航海を通して、アンデス山中に出現する貝の化石や、ガラパゴス諸島のフィンチ類やゾウガメの変異に注目した。そして、地震などで大陸が変化するのに従い、動植物も適応せざるを得ず、長い時間をかけ、わずかな変化が蓄積していったのではないかと考えた。

つまり、気候変動や限りある資源のため、すべての種が次世代に子孫を残すことはできない。あらゆる動植物の種は少しずつ多様な変化(変異)を遂げ、絶えず変化する環境にその都度、適応した種だけが子孫を残し生き残る(自然選択)と考え、「種の起源」を記した。

しかし、旧約聖書の「天地創造」に記されているように、神により動植物の支配者としてひとが創られたと信じている当時の人々は、驚天動地の思いであったろう。これでは人も他の動植物も何ら変わらない。同じ仲間ということになる。

まさにコペルニクス的転回であった。

それまでにも、擬似進化論が語られることはあったが、空想の域を出ず、膨大な資料をもとに理論付けをしたのはダーウィンが最初である。

ただ当時は、遺伝子もDNAも発見されていない時代である。したがって、ダーウィンは生物がいかに新たな形質を獲得していくかについては、言及できなかった。

後世、DNAが発見され、その塩基配列にランダムな変化がおこり突然変異が生じるメカニズムが解明された。そしてそのなかで、生存に有利な形質が保存されていく(自然選択)と信じられるようになった。

マルクスの唯物史観

ちょうどそのころ、ヨーロッパの思想界は、ヘーゲルの弁証法が主導的地位にあり、この世の歴史やひとの心は、われわれの理性がテーゼとアンチテーゼの止揚を経て、より磨かれたものに発展していく過程だと考えられていた。

ところが、ドイツにカール・マルクスが登場し、世界の歴史は階級闘争の歴史であると言明した。そして資本主義社会をブルジョアジーとプロレタリアートの対立と捉え,プロレタリアの勝利によって社会主義および共産主義を実現しなければならないと訴えた。

そしてエンゲルスとともに社会主義傾向を深め、1848年、『共産党宣言』を執筆し,唯物史観を確立した。

マルクスによれば、この世の本質は物質や物理現象であり、人の意識を決定するのは、経済機構や生産様式であるとする「唯物史観」を唱えた。

マルクスによる「本質は理性でなく物質だ」という、コペルニクス的価値観の転換は、当時の人々に大きな衝撃を与えた。

その後、実際にマルクスの唯物史観から生まれた社会主義国家は、予想外の道を歩んだ。

つまり、プロレタリアがブルジョアを倒すまでは想定内であったが、マルクスの期待に反し、権力を握ったレーニン・毛沢東ら一部のプロレタリアが独裁政治を始めたのである。

このため、生産手段は共有化されたが搾取はなくならず、失業はなくなったが貧困は変わらなかった。それどころか、平和を目指すはずが平和を勝ち取るという名目で、軍拡・戦争に邁進していった。

マルクスに言わせれば、社会主義の理念は間違ってないが、やり方を誤ったというだろう。

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