脳は死んでいるか?

geralt / Pixabay

勤務医時代のはなし。

主治医に代医を頼まれ、脳卒中で2年間寝たきりの老人を病棟回診したときのこと。

息はしているが目はうすく開いたまま、呼びかけにもまったく反応がない。

どう見ても植物人間である。

そばにいる奥さんに、意識のない人への空しい看病に対し同情の意を伝えると、おもいもよらぬ答えが返ってきた。

実は主人の頭ははっきりしているのです・わたしが尋ねるとOKなら瞼を1度閉じます。

いやなら2度閉じるのです。

ただ、言いたいことが表現できないだけなのです。

今の生活も主人と気持ちが通じ合っていますから、決してつらくありません。

慣れた先生には表情が緩みますが、いつもと違う先生がくると、身構えて無表情になるのですという。

通り一遍の診察をしただけで、分かったようなつもりになっていた自分が浅ましく思われた。

友人のAさんは、仕事場で大勢の職員を前に訓示中、突然くも膜下出血に襲われた。

大変だ、救急車を呼べ。

息はしてるが意識はないようだなどと、喧騒のなかで言葉は聞こえているのだが、目は開かず、手足の自由はきかず、聞こえてるよ、俺は大丈夫だと言いたいのに声にならず、悔しいおもいであったという。

真実とはしばしば目に見える部分と見えない部分からできているために、その判断に人命が関わる場合には、悲劇のおこる危険をはらんでいる。

臓器移植におけるドナー不足が、わが国の重要問題であることは論を待たないが、脳死判定に思いをはせるとき、今も複雑なおもいが錯綜する。

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