電報

rawpixel / Pixabay

先日夜遅くにクロネコ大和が来て、電報を受け取った。不審に思いながら空けてみると、知人から子供の受験合格祝いであった。

電報を運んできたのがクロネコであったのも、意外であったし、電報というものがまだ現存していることに、ちょっと驚きを感じた。

そういえば、冠婚葬祭には自分も打電していたのだが、貰うことがなかったので新鮮に感じたのである。

電報といえば、“父危篤すぐ帰れ”をおもいだす。

私が子供のころ(昭和30年頃)は、電話の普及が不十分だったため、電報は至急の連絡に不可欠であった。用件は概して愉快でないものが多く、特に夜の電報には不安を感じたものである。

“父危篤すぐ帰れ”は、額面どおりでないことが多く、不義理している子供を呼び寄せるのに用いられたりして、流行語となった。

せんだって、テレビで2.26事件のドキュメンタリーがあった。あの夜、報道記者の各自宅には、“すぐ出社せよ”との電報がいっせいに入ったという。

つまり、昭和11年頃、新聞社には電話があったが、報道記者の自宅にはまだついてなかったということになる。報道記者の自宅になければ、一般家庭にはまず普及していなかったであろう。したがってこの時期、通信はもっぱら手紙・はがきでおこなわれていた。

電話が全国に普及し、利器となったのは昭和30年代に入ってと思うが、おかげで子供たちが字を書かなくなったと、世の親たちは嘆いた。かわりに、会話はうまくなった。利器はまず子供たちが利用する。何分話しても10円だったから、喋る子が増え、表現が豊かになった。

しかるに、昨今のIT革命である。

パソコンは買ったが、解説書を見ても外国語を読んでるようで、遅々として進まない。ところが子供たちにやらせてみると、予備知識がないのに適当にキーをたたいて、画面を変えていく。うちの子だけかと思ったら、いまどき、できない子はいないという。

利器はまず子供たちが利用することを、思い知った。おかげで、おたく族が急増した。

かつては字を書かなくなったと親を嘆かせた世代が、今度は自分の子が本を読まなくなった、字を書けなくなった、会話をしなくなったと嘆いている。

確かに、意思疎通の困難な子供が増えている。これはもう十分革命的である。

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