自殺を目論むひとびと

Pamjpat / Pixabay

30年前、救急病院に勤務していたときのはなし。

夜間救急をしていると、自殺を図った若い女性が手首から血を流しながら運ばれてきた。

応急処置をしていると、“またこの子か。彼氏に捨てられそうになると、すぐ自殺を図って気を引こうとするんだから”という看護婦の声。

見ると、そばに当惑顔の男が付き添っている。

手首には何度もナイフで切った痕がなまなましい。

看護婦によれば“何度も切るんだけど、動脈の手前でうまく止めて致命傷にならないようにしてるんだよね”と同情の余地がない。

男の側からみれば、そこまでして男に振り向いてもらいたいという女の心根に心を動かされないわけにはいかないと思うのであるが、医師・看護婦という立場を離れてみても、男女の感性には随分隔たりがあるものだと痛感した。

当時自殺未遂で多かったのは、大量の睡眠薬服用や農薬の服毒であったと思う。

深夜数時間かけて行なう胃洗浄や下剤による腸洗浄は、異臭の漂うなか、かなりの重労働であった。

そういう作業をしながらいつも思ったことは、自分はひょっとして、当人にとってありがた迷惑なことをしているのではないか?という疑問であった。

少なくとも、本人は考え抜いたのちに自殺を選んだのであろう。

しかれば、本意を遂げさせるのが親切というものではないか。

死を選ぶことは許されざることとして、無条件に救命にあたる医師の態度はむしろ不遜とはいえないか?昨今の不況で自殺件数は増加の一途を辿っている。

それを聞くにつけても、救急に携わる医師の多くが、かつての自分と同じおもいで救命にあたっているだろうと思うことだ。

この数年、アメリカの同時多発テロ事件、パレスチナ解放戦線の自爆テロなど、自ら爆破装置の一部となり、死して目的を達するという凄惨な自殺行為が目立っている。

ここでは、もはや自らの姿形はとどめないという壮絶さと、まわりの不特定多数を死に巻き込むという不条理が露呈され、その場に漂う悲壮感は想像を絶する。

その行為は、怨念や復讐だけでは理解しがたい。

むしろ信仰に近い情念が支えになっていると推測する。

平和ボケと揶揄される我等日本人には、遠い世界のはなしという域を出ない。

ところで、犬猫をはじめあらゆる動物が豊かな感情を有することは知られているが、思い悩んで死を選んだという風評は聞かない。

自殺願望は人間だけにみられる現象であろうか?生物界を支配したつもりでありながら、自らの命を絶とうとする唯一の種族が人間であるなら、なんともつらいはなしではないか。

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