判官びいき

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NHKのドラマの高視聴率をみると、今でも義経人気は相当のものらしい。ともかく、わが日本の生んだ初めてのヒーローである。

しかし、ヒーローともなれば突如として歴史の舞台に現れ、大衆の熱望する夢を一挙に叶えるという大活躍をしなければならないから大変である。

平氏にあらずば人にあらずといわれた乱世に突然現れた源氏の御曹司。その奇抜な戦略で平家軍に対し連戦連勝。にもかかわらず悲運の死を遂げ世の同情を得るというところまで、ヒーローとして文句のつけようがない。

しかし、ヒーローが必ずしも理想的人物ではない。やんぬるかな、彼は政治感覚に乏しく、政治家として大いに道を誤った。

この当時、保元・平治の乱を通じ親兄弟が敵味方に分かれて、死闘をくりかえすのが常であった。したがって、肉親というだけでは決して心許しあえる関係にはない。

頼朝にとって活躍しすぎる弟の存在は微妙である。彼はサラリーマン社長であって、自前の軍隊を持っていない。9番目の弟(九郎義経)を、意に染まぬとして邪険にしても仕方のない背景があった。

また関東平野は、もともと律令制に拠る朝廷に反旗をひるがえして興った新興開拓の地である。北条・三浦氏等武士団のあいだには共通の意識、すなわち棟梁は頼朝であっても、弟は家臣の一人にすぎないという認識があった。棟梁の頼朝ですら出自が源氏というだけで選ばれたのであり、いわばお飾りである。

したがって、平家追討軍の司令官(軍監)は頼朝の意を受けた梶原であって、義経は旗印にすぎない。京育ちの義経には、この論理が飲み込めなかった。奥羽藤原氏のところで騎馬戦に習熟した義経は、梶原に無断で自分の作戦に夢中となったに違いない。

自分を無視して独走する義経に、梶原はさぞかし苦々しい思いであったろう。皮肉にも、義経は勝ち続け、梶原の面目は立たなかった。

義経の悲劇はここに始まる。

有頂天の義経は、鎌倉に脅威を感じる朝廷の分断作戦に乗せられ、安易に恩賞・冠位をうけてしまう。すなわち左衛門少尉(判官)の冠位であり、後に、人々は彼の悲運を懐かしんで”判官びいき”なる語を今の世に残すこととなった。

一方、頼朝はあせったに相違ない。彼は北条株式会社の雇われ社長にすぎない。北条一族から信用を失えば、いつ首になっても文句の言えない立場にある。

切羽詰った頼朝は北条氏に頼み、朝廷を圧迫して義経追討の宣旨を得る。当然の行為と言うべきであろう。

これに対し義経は反旗を翻し九州へ落ち延びようとするがうまくいかず、僅かな手勢とともに奥羽藤原秀衡のもとへ逃げのびていった。

この機に乗じて頼朝は、義経追討を目的に西国へ守護地頭を設置する宣旨を得、幕府勢力の大幅拡大に成功している。結局義経は、頼った秀衡が病没した後、彼の嫡子泰衡に背かれ自刃して果てた。

ヒーローはあまりの輝かしき実績がゆえに、その後の自分をもてあまし勝ちとなる。実際、彼らの最期は悲劇的であることが多い。

日本人好みの”判官びいき”も、悲劇のヒーローを求める心情も、今に始まったことではない。義経の遺産というべきか。

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