証人喚問

diaznash / Pixabay


耐震強度偽装問題のことである。

昨日の証人喚問を聞きながら、口語と文章語のへだたりを嘆息した。

設計を依頼したひと。設計をしたひと。それを許可したひと。建てたひと。それを売ったひと。

ことごとく証人となって、なお犯人は不在である。

舌先三寸、申し開きはいかようにでもという声が聞こえる。

文章語にくらべ、口語表現の解釈は際限がない。

建築業界の依頼はしばしば脅し・強制となるようだ。

言った言わないの差は歴然としているが、「言わない」はしばしば「そんなつもりで言ったのではない」となる。

結局言っているのである。

例えばあるものの印象を問われて、「いいねえ」といったとする。

それは、「どうでもいい」から「心底いい」まで解釈はいかようにもとれる。

「どうでもいい」は「よくない」の意であり、「心底いい」は「とてもいい」というわけで、「いいねえ」が玉虫色であることがわかる。

「まあまあ」、「なかなか」、なども同様で、よくよく相手の表情をみてないととんでもないことになる。

欧米文化圏のひとが納得できないのは、まずここだろう。

まことに日本語はじれったい。

それにしても、あの証人喚問、外国人記者はなんと書くのであろうか。

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