自殺のはなし


このところ毎年、自殺する人の数が約3万人とほぼ横ばいだという。

自殺未遂者はさらにその10倍以上という。

ともかく10年間、だれが決めたわけでもないのに毎年3万人ずつ自殺するというのだから、奇妙だと思わないわけにいかない。

文献によれば、若者ではなんと厭世感が最多で、学業や恋愛問題はともかく、家庭や学校での暴力・いじめが予想外に多いのに驚く。

中年層は経済的理由による生活苦が最多で、高齢になると看病や闘病に疲れたひとが目立っている。

その昔、江戸の世は身分不相応な恋愛には厳しかった。

そもそも色恋沙汰には障碍が不可欠で、これがあるから燃え上がるのである。

しかも燃え上がった情熱は結論を急ぐ。

この世でだめならあの世でとなる。

近松門左衛門の『曾根崎心中』や『心中天網島』は予想を上回る空前の大ヒットとなった。

身分制度でがんじがらめの庶民は大いに共感し、心中は市民権を得て全国に広まった。

これを見た幕府は慌てて心中物の上演を禁止したのである。

あたかも心中は流行病であって、その気は一挙に蔓延していった感がある。

さらに話しが古くなるが、鎌倉武士のあいだに沸き起こった「名こそ惜しけれ」は、その後、首をとられるよりは自害を選ぶのを是とし、もののふの心意気として江戸の幕末まで続いた。

この武士の倫理は明治以降、太平洋戦争終結まで軍人の戦陣訓に転用され、「生きて虜囚の辱めを受けず」として戦後なお我々の中にしこりを残した。

ところで、事実は小説よりも奇なりというが、ひとは必ずしも熟慮の末に死を選ぶというわけではないようだ。

ほとんど発作的に、もう面倒臭いやといったふうに自殺するひとも確かにいるようだ。

仕事がら、実際そういうかたにお目にかかったことがある。

太平洋戦争中、神風特攻隊や人間魚雷に志願し、あっけなく砕け散った若者がいた。

意外にもそのなかには、日ごろ戦争には無関心で、飄々と生きる悠々人が含まれていたと聞くと、なるほどという気がするのである。

我が国は世界でも自殺者の多いことで知られるが、そのためか自殺志願者に対し倫理的には許されないとする意見が多い。

「生きたいと思っても病気で生きられない人が大勢いるのに、何故自殺しようとするのか」という声を聞くが、思い詰めた人に発するには厳しすぎるようだ。

一方で、自殺を思いとどまらせるために「生きておれば必ずいいことがある」とか「死ぬ気になれば何でもできる」という声も聞くが、これでは慰めや励ましにはなるまい。

本人にとってみれば、そうやすやすと解決できるものではないはずだ。

つまるところ、相手の気持ちを理解し同情を寄せる姿勢が求められよう。

故キュープラロス氏が、死にゆく人たちのかかえる苦痛にひたすら共感しようとしたあの姿勢である。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする