阿修羅


ひとりで何人分もの働きをすることを、三面六臂とも八面六臂ともいう。

「臂」とは手首から肘にいたる前腕の意で、3つの顔と6つの腕をもつ仏像から来ている。

八面六臂像は現実には存在しないが、超人的な働きをするという意味からそう呼ばれるようになった。

このような多面多臂の極致は千手観音(せんじゅ)に見ることができる。

一人でも多くの民を救おうという願いから造られるようになった。

ただし千手は無理で、十一面四十二臂とするものが一般的である。

多面多臂像については千手観音のほか、明王や弁財天、阿修羅像などにその姿をみるが、仏像全体からみれば決して多くはない。

じつは多面多臂像はかつてインドからチベット、ネパールにかけて大いに造られたのだが、我が国にはあまり馴染まなかったようである。

仏像は四つの位に分けられる。

最高位の「如来」は悟りを開いた存在であり、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来がある。

次の「菩薩」は最も高みを極めた修行者であって、庶民にとっては如来よりも身近に感じやすいところから、現世利益や救済を求める対象になった。

観音菩薩には母性愛を感じ、文殊菩薩には知恵を授かろうと願い、地蔵菩薩には子供たちの幸せを祈り、普賢菩薩には女人成仏を願い、弥勒菩薩には遠い未来での幸せを祈った。

観音像はもともと1面2臂の聖観音であったが、のちにヒンドゥー教と混和され、現世利益を期待するなかから、十一面観音、千手観音、如意輪観音など、多面多臂像をとるようになった。

その次の位である「明王」は如来の命を受け、救いがたい衆生を威嚇しながらも、なんとか救済しようとする存在である。

大日如来を中心とする密教の中で生まれて来た仏たちで、呪力を持った王者として多面多臂になることが多く、自然と慈悲憤怒の表情をとることになった。

このため、怒りの形相はあらゆる仏像中屈指であり、不動明王をはじめとして、火焔を背に多面多臂で武器を手に、仏敵を踏みつけながらこちらを睨んでいる。

一番位の低い「天部」の神は、もとをたどればインドの神々である。

バラモンの神が仏の説法に教化され、仏教世界の守護神となった。

もともとバラモンの神がいたところに釈迦牟尼があらわれ、仏教を興したのである。

後発の仏教に押され、不本意にもバラモンの神は服従せざるを得なくなった。

ところが天部の神は位が低く人間に近い存在となったため、かえって庶民に親しまれることになった。

このため人々の期待に応えて、貴人(梵天、帝釈天)、天女(吉祥天、弁財天、鬼子母神)、武将(四天王、金剛力士、十二神将)、鬼神、力士、鳥獣など多彩な姿に変貌し、現世利益的な信仰を集めるようになった。

このうち帝釈天はインドでは最強の神であったところから戦闘の神とされ、須弥山にあって四天王を従え、諸天の主となった。

その四天王は、東を持国天、西を広目天、南を増長天、北を毘沙門天(多聞天)が受け持ち、各方角から仏法を守ることになった。

四天王のうち中心となるのが毘沙門天である。

毘沙門天は北方を護るところから、我国に伝わると東北地方を中心に信仰され、福徳、財宝の神から転じ、室町以降は戦闘、勝運の神となった。

上杉謙信が信奉したことで有名である。

吉祥天は毘沙門天の妻ともいわれ、美および福徳神として、奈良時代我が国に伝わってからは、貴族階級を中心に信仰を集めた。

金剛力士(執金剛神)は仁王とも呼ばれ、釈迦のそばにいて仏法を守っており、二体では口を開けている「阿形」と、口を閉じている「吽形」を示すところから、「阿吽の呼吸」の基になった。

ところで、この天部には地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道が存在するという。

六道のうち天道かせめて人道に憧れるのは当然であって、地獄道、餓鬼道(腹が膨れ餓えと渇きの餓鬼の世界)、畜生道(牛馬など畜生の世界)は誰からも忌み嫌われる世界である。

じつはこの人間界と餓鬼界の間に修羅界というのがある。

阿修羅のため特別に設けられた席である。

もともと阿修羅は天界の住人であったが、帝釈天と修羅場を演じた結果一敗地にまみれ、修羅界へ追いやられるはめになった。

インドにおいて阿修羅が冷遇されるのには理由がある。

元来彼はインドの神ではなく、出自は古代のゾロアスター教にある。

かつて古代ぺルシャのゾロアスターは、数々の物語の神を善と悪の2つに分け、善を光の神(アフラ・マズダ)、悪を闇の神(アンラ・マンユ)とした。

そしてこの世はすべて光と闇の戦いであると明快に言い放った。

この善の光の神(アフラ・マズダ)がイランからインドに来た途端、「アスラ」と蔑称され、悪神の汚名を背負うことになった。

古来、宗教というものは独善的で、自分たちの宗教には甘いが、異国の宗教には手厳しい。

ペルシャの善の神がインドに来て悪の神とされたのは、そういう事情による。

その後「アスラ」は中国に来て「阿修羅」と音訳され、のちに我が国へ伝わった。

阿修羅は修羅道に置かれたものの、正義、真実を追求する性格を買われて観音菩薩に従う八部衆のひとりとなり、落ち着いた。

八部衆はいずれも仏教に帰依したインド鬼神の出身である。

その阿修羅が皮肉にも長い年月を経て今、日本でブレイクしている。

話題の主は法相宗の本山である興福寺の阿修羅像である。

仏像ファンの心を捉えて離さないのは、その淡麗な姿と眉を曇らせた含みのある表情であろう。

同じ阿修羅でも、三十三間堂の阿修羅像は憤怒の形相で仏敵をにらみ据えており、法隆寺の阿修羅像は仏教に帰依し安寧を得て達観したような表情である。

そこへいくと興福寺の阿修羅像は複雑である。

その顔にもはや怒りの表情はないが、愁眉を開くところまでは来ていない。

どこか胸に悩みを秘めた、純真な青年の当惑を感じさせる。

参拝者は阿修羅像を前に思い思いの解釈をしながら、束の間の感慨に浸っているようである。

阿修羅の長い苦難の道のりをおもえば、2000年を経てかくも衆目を集める事態になったことは、同慶の至りというほかない。

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