視るということ

LaCasadeGoethe / Pixabay


40年前の非常識は、今や常識であるというはなしである。

当時、初期の胃癌には盛り上がるものとへこむものがあるというのに、初期の大腸癌には盛り上がるものしかないといわれていた。

どうも変だなと誰もが思っていたが、内視鏡検査をしても、へこんだ癌が見つからないため、大腸癌はひたすら盛り上がって発育するものと、信じられていたのだった。

ところが三十数年前、秋田の市中病院にいた工藤進英氏がへこんだ早期大腸癌を次々に発見し、その存在を世に発表したときは、そんなことがあるかと相手にされず、秋田の風土病と揶揄されたものだった。

工藤先生と同年輩の私も、当時この非常識な話しを半信半疑で見聞きしていた。内視鏡の「視」には、目を皿のようにして観察せよという気持ちが込められている。

しかし自分を含め、当時の医師の目にはへこんだ早期癌は見えていなかったのだ。

ところが、ここにあるじゃないかと工藤先生に言われてみると、不思議なことに、みんなの目にも、へこんだ早期癌が見え出したのだ。つられるように自分にもへこんだ癌が見え始めたのである。

それまでの自分の目は一体何を見てたんだろうかと情けない思いをした記憶がある。

100年も前のはなしだが、アメリカにネッティ・マリア・スティーブンズという40すぎの女性がいた。女子大学の補助教員で医師でも生物学者でもない。

しかし、毎晩独り大学の実験室で、小さな甲虫の精子と卵子を顕微鏡で観察するのが趣味だった。彼女は細胞の核のなかの染色体に注目した。

その結果、すべての卵子には共通した10個の染色体があるのに、精子には2種類あって、卵子に似た10個の染色体をもつものと、10個のうちの1個だけ特別小さな染色体をもつものがあるのに気付いた。

そして前者の精子が卵子と受精すれば雌が生まれ、後者の精子が卵子と受精すれば雄が生まれることを発見した。

小さな1個の染色体は今日「Y染色体」と呼ばれているもので、雄と雌がXとYという性染色体の組み合わせによって決定するという遺伝学上の大発見が、市井の人によってなされたのである。

とりわけ興味深いのは、それまでどの科学者の目にも止まらなかったこの現象が、彼女の発表以来、誰の目にもそれと解かるようになったことである。

診断するにあたって、「(へこんだ癌が)あるという目で見ていないと、求める癌は見えてこない」というのは、工藤先生の名言だが、それは新約聖書(マタイ伝)の「求めよさらば与えられん、叩けよさらば開かれん」というイエスの言葉を彷彿とさせる。

日頃、私たちは自分の目を信じて生きているが、実際には見ているようで見えていないのではないか。目に映るのは決して真実の姿ではない。

だれもが自分に都合のいいように加工された像を見ているのだと納得した。

そのため、だれかに実際の姿はこうだよと告げられると、突然腑に落ちて真実を悟る次第になるのだろう。

かつて私たちは、自分の目を信じて生きよと諭されたものだが、どうもそれは考え直したほうがいいような気がする。

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