籠の中の鳥

19歳で無期懲役の刑に服し、精神障害も患ったため、80歳を超えてこのたび、出所を認められたというひとがいる。

60数年間は昭和年間に匹敵する。昭和という時代をこの目で見ずに、大正からいきなり平成の世に出てきたに等しい。

 

まるで変貌してしまった世界を前に、呆然と立ちすくむ老人の姿が見える。

80過ぎの浦島太郎に、いきなり今日から自由にしていいよというのは、非情な勧告に聞こえる。身元引受人がいるのが条件だが、これに応じる家族は少なかろう。

 無期囚の受け皿

一方で、国には1800人いる無期懲役囚を収容するのに手一杯で、さほど余裕がない状態だという。法律上、無期囚は最低30年服役しないと仮釈放の対象にはならないのだそうだ。閉鎖社会のため、認知症を発症する割合が高く、病気などで獄死するものも30名にのぼるという。

 

生活力のない80歳が出所したあとは、しばしの間、更生保護施設の善意に期待せざるを得ないのが現状だ(現在は全国に103か所、収容人数は2369名という)。

しかし、いずれ老後はひとりで生きていかねばならない。

いったい、本人はそれを知ったうえでも、出所を希望するのだろうか?

 塀の中と塀の外

数々の疑問を抱きながら、60年間、塀の中に閉じ込められたという体験を夢想してみた。

すると、動物園のライオンの姿が目に浮かんだ。

普通なら、彼らはアフリカの草原にいて、毎日、獲物をどう捕らえるかに腐心している。見方によっては、まったく束縛のない自由な世界である。とはいえ、うまく獲物を捕らえられなければ、餓死する過酷な運命にある。

 

ところが、動物園にいると、まったく狩りをする必要がない。時間がくると自動的に食事が出てくる。牙を抜かれ、ぬるま湯につかっているような毎日、だが、唯一、狭い檻の中から出ることだけは許されない。

もっとも、閉じ込められたからといって、苦悩しているふうもないし、自閉気味になってもいないようだ。十分環境に順応しているようにみえる。

 

気の毒だと同情する前に、自分の立場はどうだろうかと自問自答してみる。

すると、我々もライオンと似たりよったりの境遇ではないかと思うに至った。

われわれは大衆社会で、大勢と共に過ごしている気分になっているが、実際にはすれ違っているだけで、直接接触しているのは、日にせいぜい百人までである。

 自由に生きているなどと言っても、実は、ちっぽけなコミュニティで生息しているにすぎない。

少しばかり知恵のついたライオンに言わせれば、何だい、お前さんだって、随分小さな処に閉じ込められているじゃあないかと、失笑されそうである。

 

とはいえ、ここから一生出られないというのと、いつでも出られるのだが、たまたま出ないだけというのでは、まったく違う。選択の自由があるかどうかが大きいのだ。そとへ出たくないという自由だってあるのだ。

檻の外へ出られないと嘆いたライオンはいるだろうが、自由について、深く考え込んだライオンはいないだろう。

 自由への欲求

関係者によると、年老いた無期囚にとっても、塀の外へ出たいという欲求は、我々の想像をはるかに超えるものだという。

無期懲役囚はかつて人を殺めるほどの大罪を犯しているはずである。欲求的発言が許される立場にないことは自明である。

ただ、80をすぎてなお、解放されるという喜びは,何物にも代えがたいのだと知らされたことは、新鮮な驚きであった。

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