岩崎恭子さんの奇跡 

小学生の体育の時間、身体測定で、走ったり、飛んだりした日のことである。

走り幅跳びの測定で、教師から市の公認記録を上回ったと告げられ、その日から、いきなり陸上部の選手になった。

 

とはいっても、注目されたのはその日くらいで、高校を出るまで、陸上部に所属したが、目立った記録を残すことはなかった。

しかし、長い選手生活のうちには、何度か国体代表に選ばれそうな記録の出ることがあった。今も、その当時のことをよく覚えている。

 

いい記録の出た日、なにか変わったことがあったというわけではない。

適当に手を抜きながら、メニューをこなしていただけで、体調がよかったわけでも気力が充実していたわけでもない。なんでもない日なのだが、偶然驚くような記録がでて、半信半疑になったのを覚えている。

 

そういう経験をして以来、スポーツ選手のコメントに注目している。すると、新記録を出した選手がインタビューで、特別体調がよかったわけではないのにと、不思議がってるのを聞いて、妙に安心、納得したのであった。

 岩崎恭子さんの奇跡

とくに印象的だったのは、1991年、14歳の岩崎恭子さんがバルセロナで金メダルをとったことだろう。

彼女は五輪代表選考会の日本選手権でも本命でなく、勝ったから仕方なく代表に選ばれたというほどの選手だったと聞く。

 

国際大会に出たことも無く、平凡な記録しか持たない彼女が、オリンピック直前に大変身し、予選・準決勝で好記録を連発、決勝では世界記録保持者を抜き去って、優勝したのである。

中学生の細身の少女が、筋肉隆々の外国選手を後目にスイスイ泳ぐ姿に、国民は熱狂した。アメンボウが水面をすべるように進む姿に、彼女の勇姿を重ね合わせたファンは多かろう。

 

たしかにアメンボウは体重が軽いからこそ、水面に浮きあがって水の抵抗を受けずにすみ、スケートリンクの上を滑るがごときスピードがでるのだろう。その長い脚の先には短い毛が密生していて、その毛が水をはじく表面張力で浮くことができる。

 

彼らを見ていると、体重は少ないほどよく、筋肉はあまり必要ないとさえ思える。

確かに、彼女は集結した選手のなかで、最も筋力に乏しい一人に違いなかった。

なぜあの体力でと問われれば、他の誰よりも水面近くに浮いて、水をうまく捉えたというほかないだろう。

 

さらに興味深かかったのは、その後彼女自身、うまく泳げなくなったことである。

誹謗中傷に悩まされ、思うように練習できなくなったとも聞く。

しかし、それにしてもと、多くのファンはもう一度夢を見たがった。ご本人とて、歯がゆい思いであったろう。つぎのアトランタにはなんとか出場したものの、平凡な記録に終わった。

 

その後、マスコミは、あの瞬間だけ天から幸運の女神が舞い降りたなどと、感傷的に語ったりした。

しかしながら、見方を変えてみれば、あの活躍自体が異常体験なのであって、彼女は本来の自分に戻っただけというべきかもしれない。

 

私見だが、長い人生のうちには誰にも、自ら信じがたいほどの何ごとかが、おこるように思われてならない。火事場のバカ力などもそのうちの一つといえるだろう。

自分は中肉中背の普通の小学生だった。それが何の拍子か、突然新記録を出したのである。

 

教師は驚いて、いきなり陸上選手に抜擢してくれたが、そんな奇跡は2度と起こらなかった。

たしかに今の我々は、科学技術の恩恵を当たり前のように満喫している。ついこの間まで、インターネットや携帯電話などは夢物語だったのを忘れてしまったかのようである。

 

マスコミは、科学の進歩は留まるところを知らずと報じ、ついついからだの仕組みも解決済みという錯覚に陥りそうだが、決してそうではない。

私たちのからだに起こる何ごとかは、まだまだ解明されないままなのである。

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